自転車百哩走大王
自転車走を美しく
。 =ハンサム・スタイルのススメ

 粗野で自分勝手で醜い走りから、訣別しよう

謹告 いつも心に大王を ---------------------- 大王事務局

1 今に続くロングライドの始まりは

 十年一昔というので、今から二昔前のころ。
 ときはバブルに向かって明るい日本経済バンザ~イ期。やがてはエンパイヤ
ステートビル買うか?というくらいの時期だから、自転車界にも少々のおこぼれ
がある明るい時代。

 時代の元気を反映して、自転車界でもいろいろなイベントが始まった。
 一つに様々なロードレースの大会。ダートを思い切り突き進むMTBの普及に
合わせ、野山を駆け巡るイベント。そして、JCA傘下の各地サイクリング協会に
代わって、地元新聞社や商工会議所、町村役場等々が観光振興町おこしとして、
長距離サイクリング大会を手がけ始めた。

 当時は、各地主催者は、本当は派手で目立つ「ロードレース」をやりたかった。
地元に客を呼び、マスメディアに取り上げてもらい、地元経済を潤わせたかっ
た。でも、いきなりレースは始められない。警察に相談しても「へ?」とかなる
し、競技連盟も「手が回らない」。そこで、イベント名だけは「ツールド何々」
てなことで、とりあえずサイクリング大会を始める主催者が多かった。

 そのころは、ちょうど自転車にも世代交代?が起き、ランドナーが衰退して、
ロードレーサーが一般化してきた。それまでのレーサーは、競技機材として
神格化されたような存在で、取り扱いも微妙。軽いものの弱いホイール、パ
ンクしやすいが走りは絶妙、糊でベトベトになりながら嵌めるチューブラータイ
ヤ、トーストラップで固定するペダル、カンでレバーを動かし変速するダブル
レバー式変速機と、かなり慣れを要する代物だった。

 それがどんなものかは、サイクルスポーツ誌2008年3月号の付録「日直商会、
ヨーロピアンプレミアムブランドブック」の3ページを参照。昭和62年当時の実
業団チームの写真がある。被写体の森幸春氏乗る自転車は、まさに上記の
状態。

 が、技術革新は素晴らしい。すなわち、ビンディングペダルやインデックス変
速機、高性能クリンチャータイヤ、軽量でカッコいいヘルメットなどが続々登
場。競技者の用具から、舗装路を長く走る為の一般サイクリスト向の機材に
変化を遂げた。

 このように、幸運にも、行事の機運が高まり、機材が改良され、いわばソフト
とハードが同時期に整備された。これにより、あちこちにロングライド大会が
勃興し、それに参加する人が現れ始めた、と考える。ただし、当初は、隊列
の先頭で激しい競り合いが起きたり、時間調整しようとする主催者の制止を
振り切ってチェックポイントを突破し、1番を狙う者が続出。参加者の意識、
「舗装路のイベント=全てロードレース」の呪縛を解くのが大変だったようだ。


2 新しいイベントゆえ新しい遊び方のルールを、それが7原則

 当時、事務局は、「レースじゃない、でも、たらたらツーリングでもない、本格
的に走りに取り組める新しい『何か』。」を探していた。それが、当時盛り上
がってきたロングライドだったのである。「これなら思い切り、本気になって
取り組める!」と挑戦を始めた。ツールドのと第一回目に出たり、センチュ
リーラン十勝大会に出たりして、確信を深めた。

 そのころはロングライドという遊びが、ジャンルとしてまったく確立しておら
ず、走り方など手探り状態。唯一参考にしたのは、沖コースケ氏(今でも兵
庫でショップを経営されている)が雑誌に寄稿した、ロングライドの走り方の
記事。コピーして、全文を記憶するくらい読み込んだ。そこで分かったのは、
頼るものは自分一人、いかにして目的地まで効率的に走り、ゴールするか。
疲れにくい機材、体力の消耗をコントロールしながら走る技術を身につける。
要は、それまでの短距離の素人ロードレースで勝つ方法とはまったく違
う方法論で臨まねば、長距離完走の栄冠がえられない。という事実である。

 そして、センチュリーランを走る会という組織を立ち上げるなら、考えをまとめ
て、世に問い、賛同者に集まってもらおう。そう思い、自分なりに工夫研究し
たり、創設当時の大王メンバーの主張考察を取り入れ、「こう走ることがセン
チュリーライドの望ましい走り方だろう。」をまとめたのが、大王7原則である。

 特に、下敷きにしたのは、主催者さんのナマの声や各地大会開催要項に共
通に掲載されている注意点。

「ゴミをポイポイ捨てるな、160kmにわたってゴミを集めて回るのは困難」

「160kmにわたって誘導立哨を立てるのは困難。地図を見て予習し、自分
でコースを走ってほしい」

「団子になって競り合いながら走ると警察に注意され、次年度以降開催不能
になる。間隔を空けて走ってくれ」

「参加は『個人単位』で募集している。『チーム単位』ではない。だから、
個々人のペースでバラけて走ってくれ。」等々

ロードレースにないこれらの注意点を心に刻んで走る。それが諸イベントに
かなり共通するならば、練習のときから普遍的な原則として意識するように
しよう。よく言うでしょ、「練習でできないことは、本番でもできない」って。
それで、「原則である、よって、みんなこれを普段から意識してほしい」と
打ち出したのだ。


3 大王7原則では、なぜ独走を推奨するのか

 正直言って、事務局も初めは、信号無視はするわ、コバンザメ走法やトレ
イン先頭交代走法もしていた。ようは、昔から当たり前とされてきた「ロード
レースの街道練習」方法で、自転車の走りを覚えたからである。
おかしいとか、いけないとか、ほとんど意識がなかった。

 今はどうか。脚力の衰えで、前を走る速度が同じ人を抜くに抜けず、コバン
ザメ的追走になることもある。信号だって、青で行けるかと思ったらスピー
ドが足りず、交差点の真ん中で黄色なって、ヤバイ脱出!ってこともある。
とても人を批判できたものではない。お恥ずかしい。

 さて、信号無視については、元会員で友人でもある菅さんから、「スポーツ
はルールのもとに行われる。どの大会要項にも交通ルール厳守と書いて
ある。だから、センチュリーライドではそれがルール。ところが、信号無視と
か、そのルールを意識的に破って走るのでは、スポーツとしてのロングライド
が成立しない。」さらに、「センチュリーライドの普及発展を標榜する会として、
自殺行為である。」との強い叱責を受けた。なるほど~、と深く反省し、
大王七原則に入れた次第。

 追走禁止にしてもそう。チームプレーで展開する本格的ロードレースでは、
大集団で、あるいは脚の合った者同士で、前走者をピタッと追走する。
加えて適度なタイミングで先頭交代し、後続をふるい落とす。これがが「効
率的で素晴らしい走り」と刷り込まれていた。だから、素人ロードレーサー
だった私もそれが至高の走りと信じて疑わなかった。

 そうやって、センチュリーライドで前走者を追走したり、自分よりちょっと速い
集団に混ぜてもらって、いつもより速いタイムで走ったりして、天狗になって
もみた。が、どうにも違和感がある。それは、「これは、俺の実力じゃない。
同じ大会に出て独走で完走ときに比べて、疲れ方が少ないし、精神的にも
自分でルートを探すでもなくペースを作るでもなく、楽。そう、それぞれ2割
くらい、楽。」という感じである。


4 ロングライドは自分への挑戦 他人任せ、他人頼りでどうする!

 そこで、「待てよ」、と思った。「2割楽なら、俺って、160km完走とか自慢し
ているけれど、120kmしか走ってないのと一緒じゃん。ええ~、いいのか
それで。」センチュリーライドは人と競わない、大人の自転車大冒険。そう
あちこちで主張してきたけど、言っていることが純度100パーセントではな
い。なんだか卑怯者のように思えてきた。「ロードレースで勝つ。そういう
前提で覚えた走りじゃ、ダメなんだ。」

 では、どうする。「前を引いてくれた人たち、一緒にローテーションした人たち
からもらったパワーを差し引いた、俺の本当の力は、どうなんだろう。」「仕
事は組織でする。だから、なかなか自分の裸の力は分からない。でも余暇の
場では違うぞ。オマエは、自分の中に眠る力がどれくらいか、それを証明した
くて、センチュリーライドの場に来ているんじゃないのか?」こういう思いがムク
ムクと強くなった。

 いくつかの大会要項に集団走行はダメと書いてある、それ以上に、仕事場
とは違う自分をさらけ出し、怠けゴゴロある自分と対峙し、自分の本当の力を
知る。そのためには、「そうか、独走だ!」自分の走りを自分でコントロール
し、自分に挑戦する。それが大事だと思い至った。そこで、これを大王7原
則に入れた次第である。


5 大王7原則はどこまでサイクリストを、会員を拘束するのか

日本国憲法じゃないんだから、拘束力はないも同然。それに皆さん、大人
なんだから、言わなくても分かるでしょ。入会するとき、これを尊重すると意
思表示したでしょ。そういうことで、小言を言いたい事態も見聞きするが、
スルーしている。外部からも「大王会員のこういう人物が、こういう走りをして
いる。実にけしからん。」という声が届く。これも、過去、余りに酷いと思った
1回だけ、注意喚起したにすぎない。

 それに、「原則が窮屈でしょうがない」と感じた人は、翌年の会員更新をしな
いで、静かにスッと会から脱退できる。そういう仕組みも整えた。大王7原則
があってもなくても、気にしなくても、もっといえば大王会員でなくとも自転車
は走るしね。

 もはや、大王は事務局個人の手を離れ、皆さんの公共物になった。だから、
まず、会を構成する会員諸氏が「俺は原則を承知した。では、原則とはこう
いうことで、それに則った走りができているか。さらに、納得して大王に参加
しているか。」を常に自問自答していただきたい。

 出た答えには、幅がある。それも承知している。しかし、それは、良識派の
会員諸氏が正しい方向へ導いてくださるだろう。もはや事務局が独断でコン
トロールすることなどできない。事務局は、生活指導の教師でもなければ、
憲兵でもない。個々の会員を査問しない。イヤでも理解しろと拘束しない。
原則に納得いかず会を離れる人を追わない。多くの人が考え、生み出した、
原則が支持され、浸透するように努めるだけだ。

 事務局個人としては、練習は効果を上げるものならば、何でもよいと思う。
こいつは効果がある。そう納得して走らないと時間の無駄だから。

 でも、事務局個人は練習でもトレインはしない。したくない。本番のイベント
でそういう走りはしないから。地点間は自由走行として、各人が出しうる力
で思い切り走り、風を切り裂く高速独走力を高めるべきだ。言い訳を仕舞い
込んで、限界の力で独走する。これはまた、実際の大会で良く出くわす
「向かい風」対策にもなる。独走で風と戦っておけば、向かい風も日常経
験する一つとなり、苦手意識を持たずに済む。
(注:初心者がいる場合は、安全考えて団子3兄弟で走ります)

 また、ばらけることで、ルートを探る感覚が鋭敏になる。景色を無意識にも観
察し、周囲の地形から、そろそろ曲がる地点じゃないか?おお、さっきの地
点から5kmくらい来た、そろそろだと、予習した地図上のコースと実際の現地
が結びつく訓練になる。これ、本当で、ふだんから「コースは自分で探るん
だ」と意識付けして走ると、初めての大会でも不安なく、かなりの確度で
正しいコースから外れなくなります。ウソじゃありません。

 反対に、「誰かに付いていけばいいや」という姿勢の人は、なぜかいつも道に
迷っている。赤点大王だった私が、この歳になって予習の重要性を説くとは、
笑止千万ですが(わははは)。

 7原則は、長年、数多くのロングライドの現場を見て走って来た経験から、
必ずや心に留めてほしい内容だ。たった、7つ。それも、シンプルにまとめた。
そんなに難しいことだろうか?と思う。

 たとえば、独走したら走りの体験を共有できない問題。それだからこそ、
ジャージを誂え、ノボリを建て、ステッカーを作り、親方ボランティアをお願いし、
茶屋を出す。個人情報保護の観点から名簿もどうかと思うが、発行し続ける。
ゴールしても、勝手にそそくさと帰らないで、ゴール地点で他の会員の到着を
待ち、完走を喜び合う。前夜祭や後夜祭を行う。

 皆さん、これを忘れていないか。トレインで走らなくても、会話が弾む工夫を
積み重ねてきた。これを思い出して、次の機会には、ぜひとも交流につなげて
いただきたい。

 ただし、事務局はひとこと言いたい。この原則を守らないで、みんなが好き
勝手に走ったら、会に集まる必要はないし、センチュリーライドを初めとした
ロングライドの大会は参加者のマナーの問題から早晩消滅する。北極の氷
が溶けるより速くそうなる。我々の集う機会や貴重な遊び場がなくなったらど
うするんだ?